イメージカラーの主体、あるいはうみめぐキてるということ。
酷暑ですが、諸姉諸兄生きておられますでしょうか。
あまりにも暑い太陽はあらゆるものを熱し、焼き上げ、焼き上げてしまいました。
アイドルマスターの擁するアイドルには、イメージカラーというものが設定されています。
イメージカラーは至極便利なものです。
色分けすることによって、各アイドルのキャラ付けを強化し、ファンは自らの旗幟を鮮明にし、グッズ展開のバリエーションを助け、兄ちゃん姉ちゃんはサイリウムで経済効果に貢献し、会場の犬や猫が鳴きます。
私もあなたもニコニコ、なべて世はこともないのですが、往々にして人は気付いてはならないことに気付いてしまい、その綻びは堤の蟻のように前提を崩壊させるのです。
アイドルマスターのイメージカラーは誰がどのように決め、なぜ我々に喜びをもたらしているのか、と。
アイドルマスターは作品ごと、あるいはアイドルの所属事務所ごとに異なる法、相反する憲法を奉じています。
ことシンデレラガールズについては、事情は割合簡単なのです。
CuCoPaをベースに、特徴を特化した例外でスパイスをつけつつイメージカラーが設定されている。
ライブごとに稀によくブレますが、そもそも765ASの時代から色相環として軸がブレていたので、その程度、二十郎的に言うならいい意味でイメージカラーの範囲です。
ここでは、議論の範囲を、765ASを内包したミリオンスターズに限定することとします。
ミリオンライブのアイドルごとに設定されたイメージカラーを定義する理論として、イメージカラーは各アイドル毎の下着の色であるとする理論があります。
この理論に対する安易な反論としては「年がら年中同じ下着とはどういう了見だ」というものが考えられますが、そもそもアイドルが頻繁に下着を替える必要がないため、この問題は棄却されます。
自明ですが、アイドルはおしっこもうんこもしないからです。
古事記にもそう書かれています。
アイドルの下着の色が開陳されることによって、各キャラクターの掘り下げとキャラ付けが双方向に作用します。
所恵美の下着が黒なのは、ギャルならば往々にしてそういうものです。
田中琴葉は、モノクロカラーでも赤や青でもなく、堅物になりきれない彼女はなるほど緑っぽい気がします。
豊川風花の下着が紫系というのは、セクシーさを鑑みるに有無を言わせぬ説得力に満ちています。
七尾百合子のゴールド下着には、反論の余地がありません。
北沢志保がベージュめいた白なのは、弟との共有を前提としたブリーフ、あるいは母のおさがりなのだと考えるとキャラクター造形の深みが出ます。
高坂海美のピンクには一見インパクトがありますが、女子力を気にする彼女のアッピルとして、あるいは快活さとして理解すると、むしろそれ以外に考えられなくなってきます。
この論に僅かな瑕疵があるとするならば、イメージカラーを付与された彼女たちがアイドルである、ということです。
アイドルは自らが自らをアイドルと定義しえるものではありません。
アイドルをアイドルたらしめるのはファンの存在であり、アイドルのキャラ付けしていく主体はアイドルではなく、アイドルを消費せんとするファンの、決を取ることのない多数決の結果です。
アイドルが自らのイメージカラーを自らの下着の色によって規定するという円環には、自己矛盾の無視できない軋みがあります。
アイドルがアイドルであるならば、決定権は本人にはないのです。
ところが。
灼熱の太陽が日本列島の気温を容赦なく上昇させ、学生服の布地を焼いて水着へと変貌させ、重量を燃やし尽くして10メートルのジャンプが可能になり、高坂海美のピンクの下着は焼き焦げて黒下着に生まれ変わったのです。
アイドルマスターの歴史には、こういうことがつきものなのです。
如月千早の弟の名前が判明したあの日。
橘ありすと鷺沢文香の関係性が誕生したあの日。
そして、間接的に高坂海美の黒下着が観測されシュレーディンガーの猫の生死が確定したあの日。
それまでがどうだったかという一切が塗り潰され、忘却の川の水は苦く、「こうである」という歴史が歴史として共有されてしまう瞬間。
いわば、高坂海美の黒下着は歴史に生まれた歴史の黒下着なのです。
高坂海美の下着がピンクではなく黒下着であることを受け入れるか否か、それは言い換えるならば、これからもプロデューサーという自認でアイドルマスターを追いかけ続けられるか否かと全くの等価の問題なのであります。
ここにアイドルマスターミリオンライブのイメージカラー下着説は転換点を迎えました。
これは敗北宣言ではない。
否、はじまりなのです。
駆け抜けてゆこうよ、風より早く。
我々が忘れてはならないのは、今、うみめぐ(高坂海美と所恵美のカップリングのこと)がキているということ。
結論は一つしかありません。
アイドルマスターミリオンライブにおいて、イメージカラーは、カップリング相手の下着の色によって定義されている。
新しいパラダイムを、我々は発見しなければならなかったのです。
公式生放送という「運営」からのメッセージは、プロデューサーが新たな魂のステージに上昇するべきときが来たという啓示に他なりません。
所恵美の下着は、黒よりも、ドンキで売ってそうなコスプレ衣装めいたテカテカの生地のピンクの方が嬉しい。ギャルだから。
田中琴葉の肌には、同じ緑にしても、青系よりも爽やかな黄緑の方が相応しいでしょう。
豊川風花の下着が紫でなくても、そもそも豊川風花の下着姿ならば何色でもセクシーです。
七尾百合子は、勝負下着に一足跳びで紫を選びそうという大胆さが図書館の暴走特急を暴走特急たらしめています。
北沢志保は白より青を選びそうだし、合宿所で拾った北沢の下着がオレンジだった日には投票イベントで神に感謝を捧げます。
そして、うみめぐがキている今だからこそ、高坂海美は黒下着なのです。
革新された765プロの色彩論は、当然765ASにも拡張されるのですが、その論証を行うには残念ながら余白が足りません。
何より、本稿に目を通された皆様に私ごときがその仔細を述べるのは釈迦に説法というものでございましょう。
アイドルマスターという世界の成り立ちを巡る理論は今なお更新され、日々新たな挫折と発見によって彩られている。
まさに現実の科学の進歩の道程そのものでありましょう。
最後に、これだけは言わせてください。
可奈ちゃんをそういう目で見るのは許されないからです。
私が訴えたいのはそれだけです。